プロフィール

■ こんにちは!安部(あべ)てつやです!

私は1967年に日出町に生まれ、豊岡小学校、日出中学校、そして高校は大分雄城台高校ですが、日出町から3年間通学するなど、少年期を日出町で過ごしてきました。大学は九州大学経済学部に入学。卒業後は太陽神戸三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職します。銀行では主に大企業向けの融資業務を担当していました。

それから7年ほど東京の店舗で銀行員として働いていましたが、企業を元気にするのは『お金』ではなく、『経営の智慧』であることに気付き、銀行を退職してアメリカの経営大学院に留学して最先端の経営を学ぶ決意をします。そして無事に大学院を卒業し、MBA(経営学修士)の学位を取得すると、日本に帰国して東京で経営コンサルティング会社を設立し、企業の経営指導やビジネス教育を行う仕事を始めました。

■ 人生観を一変させた東日本大震災

独立後は東京の大企業を相手に仕事をしていましたが、その後の人生観を一変させる“大事件”が起こります。

そう、2011年3月11日に発生した東日本大震災です。

私はその時、東京の六本木ヒルズの49階のオフィスで仕事をしていましたが、突如下からどーんと突き上げられるような縦揺れの大きな衝撃の後、非常に長く激しい横揺れに襲われました。
「ビルが倒壊するんじゃないか?」・・・そんな恐怖を抱いていたことを今でも鮮明に覚えています。

ようやく大きな揺れが収まり、小さな余震が頻繁に続く中、地震でエレベーターが動かなくなり、ビルに取り残された人々が同じ階の大きなフロアに集められると、高層ビルの49階からは遠くお台場方面で黒い煙を上げて大きなビルが炎上している様子が目に飛び込んできました。まるで映画のワンシーンを見るかのように、これまでの人生の中で経験したことのない光景を目の当たりにして大きなショックを受けました。

もちろん、震源地である東北地方の惨状は東京の比ではありませんでした。この東日本大震災をきっかけに、私はあるご縁で、その後5年間にわたって東北経済の復興支援を行うために、仙台で地元企業の経営指導に携わることになりました。

この復興支援活動を通して気付いたことは、「地方には素晴らしいものがたくさんあるのに、その価値やそれを活かす方法を知らないために、地方の人々の生活は豊かになれていない」ということでした。

■これからは日出町のために!

私の生まれ育った日出町も、自然や観光資源、海の幸や山の幸、日出町に住む人そのものなど、至る所に“ダイヤモンドの原石”が溢れています。

そこで、私自身の経済や経営の専門化としての経験や知識を活かし、日出町に住む方々と一緒になって、それら埋もれた“ダイヤモンドの原石”に磨きをかけ、日出町がもっともっと輝ける町に変化を遂げ、町に暮らす人の生活をより豊かで楽しいものにすることに挑戦したいという想いが沸々と湧いてきたのです。

そして、50歳になるのを機に、故郷の地域活性化のお役に立ちたいと日出町に戻ってきました。

「これからは、子供からお年寄りまで、日出町に暮らすすべての人がより豊かで楽しく、安心して暮らせる町の実現に向けて精一杯頑張りたい!」、「日出町を誰一人取り残すことなく夢と希望の溢れる街にしたい!」・・・そんな熱い想いで日々活動していきたいと思っています。

誕生から小学校まで

1967年11月、安部孝雄と志津子の次男として誕生。日出町立豊岡小学校に通いました。小学校時代はスポーツ大好き少年で特に地区のソフトボールチームで活躍しました。小学校6年の時には所属チームは地区予選で敗れたものの、優勝チームの助っ人枠で県大会に出場。1回戦で敗れたもののホームランを打つなど活躍しました。

中学校時代

日出中学校時代は陸上部に所属し、陸上の練習に明け暮れました。中学1年の時から郡体で1位となるなど頭角を表し、中学3年の時には400mで大分県1位に輝きました。

高校時代

高校は日出町から離れ、大分雄城台高校に進学しました。通学で往復2時間の道のりでしたが日出町の自宅から高校まで3年間、電車と自転車で通学しました。高校でも陸上部に所属し、400mと800mで北九州大会に出場するなど活躍しました。

大学時代

1986年4月、九州大学経済学部に入学しました。年の2つ離れた兄も同じ九州大学でした。兄は工学部で大学院まで進学したため、大学時代の4年間は兄と博多で同居生活でした。大学3年時に1か月のアメリカ旅行、そして大学4年時はアメリカに3ヶ月の語学留学したことが後々の人生観に大きな影響を及ぼしました。

就職

1990年4月、大学卒業後、当時世界一の資金量を誇る太陽神戸三井銀行(現三井住友銀行)に入行しました。就職活動時は中位行である三井銀行の行風が気に入り就職を決めましたが、就職内定後に太陽神戸銀行との合併が決まり、図らずも日本一の銀行員として社会人のスタートを切りました。最初の赤坂支店で1年後輩(妻、祥子)と出会い、1993年5月に結婚しました。

アメリカ留学

30歳を目前にして、アメリカで経営学を学びたいと1997年5月に銀行を退職。同年12月に妻と共にアメリカに渡りました。アメリカでは当時インターナショナルビジネス全米No.1のThunderbirdというビジネススクールに入学し、2001年12月に首席クラスでMBA(Master of Business Administration)の学位を修得しました。また、2001年3月にはアメリカのアリゾナ州で長女・玲音(れな)が誕生しました。

起業

2002年に日本へ帰国してからは、アメリカのビジネススクールで学んだ知識を活かして経営コンサルタントとして起業しました。お陰様でテレビやラジオ、新聞、雑誌などに登場し、幅を広げた活躍をすることができました。出版した著書は日本で17冊、台湾および韓国で3冊と計20冊に上ります。2004年には東京で次女・美瞳(みう)が生まれ、家族は4人になりました。

政治家として・・・

50歳を機に生まれ故郷に恩返しがしたいと日出町にUターンしてきました。日出町はとても魅力的な町ではありますが、もっと町民が豊かに、そして幸せになれるポテンシャルがあります。「自分のこれまで銀行員や経営コンサルタントとして培ってきた経験や知識を駆使して日出町を日本一暮らしやすい街にしたい!」、そんな熱い想いを胸に政治家の道を志しました。まだまだ、その志は半ばではありますが、多くの協力者を得て是非とも自分の描いてきたビジョンを実現し、日出町が夢と希望に溢れた街となるようこれからも全力で前に進んで行きたいと思います・・・

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